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ナンペイ事件と東大中退テロリスト

written by 小池壮彦

東京・八王子市のスーパーナンペイ事件への関与が疑われている中村泰(ひろし)。この73歳の熟年テロリストは、いったい何者なのか。彼が関わった事件、および関わった疑いが持たれている事件は次のとおりだ。

1956年11月23日 山川治男巡査殺害事件(東京)
1988年04月03日 金融業者夫妻強盗殺人事件(金沢)・・・・・・・・・・・未解決
1995年03月30日 国松警察庁長官狙撃事件(東京)・・・・・・・・・・・・・未解決
1995年07月30日 スーパーナンペイ殺人事件(東京)・・・・・・・・・・・・・未解決
1997年08月04日 大阪厚生信金深江支店強盗事件(大阪)・・・・・・・・未解決
1999年03月05日 三和銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・・・・・・・・未解決
1999年07月23日 東海銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・・・・・・・・未解決
2001年10月05日 三井住友銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・・・・未解決
2002年11月22日 UFJ銀行強盗殺人未遂事件(愛知)

中村は27歳のときに銀行強盗に失敗し、武蔵野署西荻派出所の山川巡査を射殺して逃亡した。翌年2月に逮捕され、元東大生の犯人ということで話題になった。無期懲役刑で服役した後、1976年に仮出所している。

1988年の金融業者殺しは、2003年に時効を迎えた。中村の犯行かどうかは不明だが、同類の事件ではある。その他のケースは、いずれも中村所有の拳銃が使われた可能性が指摘されている。

上記事件を見ると、いずれも月始めか、月末の似通った日にちに起きている。どれも中村の犯行なら、何か意味があるのかもしれない。ただ、事件の性格としては、国松元長官狙撃事件とナンペイ事件が浮いているという感じはある。

中村は昭和5年に裕福な家に生まれ、戦時中は父親の仕事の関係で中国で過ごした。東大理科U類入学後に共産党に入党し、窃盗で逮捕されて大学を中退。以後は体制転覆をもくろむ活動家として裏街道を歩んだらしい。

中村は銃器15丁と1000発の銃弾を所持し、「拳銃のプロ」を自認していた。プロゆえに致命傷を外すことは容易であり、銀行強盗の折の殺人未遂容疑についても、殺意はなかったと主張している。

銃器所持の理由については、「右翼のリーダーと『特別義勇隊』という民兵組織を結成するためだったが、1993年にリーダーが自殺したので計画は挫折した」と中村は説明する。ちなみに野村秋介の自決が93年である。

野村秋介が河野一郎邸焼き討ち事件で獄中にいた時期と、中村が服役していた時期は、ほぼ一致している。仮に中村が野村秋介と思想的につながり、いわゆる反体制右翼的な活動家として蘇生したなら、ひとつ疑問が浮かぶ。

野村秋介は任侠の人であり、人を殺さないテロリストであった。中村の場合は前科から見て必ずしもそうであったとは思えないが、仮にも義を標榜する男が、大企業は襲うにしても、街中のスーパーに押し入って無抵抗の女性3人を殺すだろうか。

警察庁長官狙撃に関しては、中村がやったのかもしれない。オウム事件に触発されて、というより、オウムのように平然と無差別殺戮をおこなう反体制活動を目の当たりにして、「それは違う」と思ったのではないか。

テロとはこうやるのだ、という手本を見せたと。つまり警察のトップを白昼堂々銃撃した。しかも4発の銃弾を撃ち込みながら致命傷を外した。そんなことができるのは自分しかいない、という自己主張である。

だが、同じ年に起きたナンペイ事件は事情が異なる。女性を殺して何になるというのか。顔を見られたからであろうか。しかしそもそも近所のスーパーを襲うか? 中村はナンペイ事件の実行犯ではないのかもしれない。

ただし、既報の線条痕の問題がある。中村所有の拳銃が使われたと見ていい。加えて、躊躇なく頭部に弾丸を撃ち込むというのは、並みのチンピラにできることではない。中村は実行犯ではないにせよ、真相を知っている可能性がある。

中村は1996年に東京を離れ、三重県名張市に引っ越している。そして住民票だけは、97年に東京の豊島区に移し、98年に神戸市に移している。つまり、95年のナンペイ事件以後に、不審な行動をとっている。

この引っ越し等について中村は、「活動から引退し余生を送るため」といっている。だが実際には2002年に名古屋の銀行強盗を実行しているわけだから、信用するには値しない。やはりナンペイ事件との関係が疑われる。

それにしても、拳銃による殺人の前科のある中村が、八王子の現場から遠くない場所に住んでいながら、警察はノーマークだったのだろうか。科学捜査は細かくやるが、マクロな視点を欠いていたのか。それとも別の事情があったか・・・。

気になるのは、中村とナンペイ事件を結びつけることについて、最近は警察も報道も慎重になっていることだ。そして、そもそも中村のような男がまったく野放しになっていたこと自体、実に胡散臭い。

中村の親族には、元政治家や、大企業の重役がいるという。彼の年代と経歴から見て、政治的背景は疑える。鬼っ子の事情が明るみに出ると、何かと都合の悪い権力者の存在。ナンペイ事件の捜査難航とも関係があるのか・・・。

2月4日の公判報道も、ナンペイ事件にはまったく触れなかった。それが何を物語るかについて憶測されることはあるが、とりあえず警察は、中村所有の拳銃が別件で使われた可能性をいまも調べている。そのことは確かである。
(2004.2.6)

[追記1]
警視庁捜査1課は、1992年2月14日に起きた大越晴美巡査部長刺殺事件も中村の犯行との疑いを持っている。この事件は東京・東村山市旭丘派出所で発生し、犯人は拳銃を奪って逃走した。未解決のままである。(2004.2.13)

[追記2]
2001年に起きた「三井住友銀行現金輸送車襲撃事件」に中村が関与した疑いが強まった。遺留品から検出した細胞をDNA鑑定した結果、中村と同じだったという。大阪府警は他の強盗事件も中村の犯行と見て引き続き調べている。(2004.6.4)

[追記3]
中村泰が東京と大阪で借りていた貸金庫などから押収された拳銃14丁を警察庁科学警察研究所などが分析した結果、1丁の拳銃がスーパーナンペイ事件の現場で見つかった銃弾の線条痕に酷似していることが6月15日に判明した。(2004.6.16)

[追記4]
「三井住友銀行現金輸送車襲撃事件」で、大阪地検は7月2日に中村泰を起訴した。中村は起訴事実を否認しているが「1997年から98年にかけて奈良や三重で射撃訓練した」と供述。また「私なら顔に塗料を塗って容姿を変えることもある」「(待ち伏せるのは)輸送車の動きを監視できる場所を選ぶ」などと“プロの手口”を披露。「法廷でマスコミに発言したい」と述べたという。(2004.7.2)


[追記5]
「国松孝次元警察庁長官狙撃事件」で、警視庁公安部は7月6日、96年当時に「私がやった」と供述しその後に実行犯でないとされた警視庁の元巡査長ならびにオウム真理教元幹部ら計4人に対し、殺人未遂容疑で強制捜査に乗り出す方針を固めた。7日にも本格捜査に着手する。(2004.7.7)

[追記6]
「国松孝次元警察庁長官狙撃事件」に関与したとして逮捕された警視庁の元巡査長ならびにオウム真理教元幹部ら計4人が処分保留のまま釈放された。公判を維持するだけの証拠がなく起訴できないという判断。(2004.7.28)

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