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「国松長官狙撃犯と私」について


written by 小池壮彦

『新潮45』4月号に掲載された東大中退テロリスト・中村泰の手記「国松長官狙撃犯と私」。この文章で中村はまず、国松元長官狙撃事件の犯人を絶賛している。「日本にも遂にこんな人間が現われたのか、という驚きがあった」と述べている。

私は事件のときに、そのような感想を持たなかった。日本人でこんなことがやれる人材がいるだろうか、とまず疑問に思い、犯人が外国人である可能性を当然考えた。だが中村は手記の中で一貫して、犯人が日本人であることを疑っていない。

中村には、狙撃犯が日本人であることを疑う発想がないらしい。それが単なる願望なのか、それとも自分が犯人であることを示唆したものなのかは、はっきりしない。だが少なくとも中村は、自らが長官狙撃事件に関与したことを否定していない。

中村はこの手記以外にも、長官狙撃の犯人が自分であることを告白した“詩”を書いている。それはあくまで“詩”であり、事実かどうかはわからない。ただ中村にとって長官狙撃犯の“称号”を与えられることは、いわば名誉であるらしい。

思うに中村は、“タダの凶悪ジジイ”というレッテルを貼られただけで生涯を終えたくはないのであろう。警察庁長官を撃った男。その称号が欲しい。だがあっさり犯人であることを認めるほど安くはないというわけか。食えないジジイではある。

手記では、狙撃に使われた銃の解説がなされている。犯人の心理も分析される。現場に残された朝鮮人民軍のバッジと韓国の硬貨が孕む意味も推理している。銃の解説はガンマニアなら中村でなくても書けるし、あとは妄想のようでもある。

バッジと硬貨については、まだ書き足りないことがあるらしく、「あらためて別に述べる」という。ならばその折に語るに落ちるのを待つとして、私が注目したのは、中村が「八王子スーパーナンペイ事件」にわざわざ言及していることだった。

取り調べで中村は、ナンペイ事件への関与を否定している。長官狙撃ならともかく、無抵抗の女性3人を殺した事件の犯人にされるのは心外らしい。彼はナンペイ事件で使われた銃が、安物だったことを強調する。

長官狙撃に使われた銃は、銃弾の線条痕からコルト社の銃とされる。一方、ナンペイ事件で使われたのは、フィリピン製のスカイヤーズ・ビンガムとされ、「こんな三流の安物はゴルゴには全然ふさわしくない」と中村はいう。

“ゴルゴ”というのは、中村が手記の中で長官狙撃犯を便宜的にそう名づけているのである。もちろんゴルゴ13にあやかっているわけで、そういうところは実に無邪気なオヤジなのだが、それはともかく、「全然ふさわしくない」の「全然」が気にかかる。

もし私が同じ文章を書くとしたら、推敲の段階で「全然」を削る。強い否定はかえってわざとらしいからである。ナンペイ事件に関与していないなら、そのことに気づくのではないか。関与していたから、否定表現に思わず力が入ったようにも思える。

すでに述べたように、中村は長官狙撃の実行犯であることを疑われる分には、まんざら悪い気分でもないらしい。むしろそれを勲章と考えているようだ。たしかに警察庁長官狙撃というのは、並みの殺し屋にできることではない。

しかしナンペイ事件の犯人であることは、単に外道であることを意味する。仮に中村が資金集めのために外道にならざるを得なかった局面があり、ナンペイ事件を引き起こしてしまったとしたら、その汚点は墓場まで持っていこうと思うだろう。

ナンペイ事件への関与という問題から目をそらすために、中村は長官狙撃事件への関与をほのめかしているようにも思える。つまり長官狙撃に捜査の重点と世間の関心を誘導し、相対的にナンペイ事件の印象を薄めようという算段だ。

長官狙撃事件に関して、中村が雄弁である理由、つまり「国松長官狙撃犯と私」なる手記を発表した理由はそこにある、と見ることもできる。ゴルゴ13に三流の安物銃がふさわしくないのは確かだが、中村はゴルゴ13ではない。

なお中村の父親は、戦前に満鉄の職員だったという。だから幼少時代を中国で過ごした。彼が戦後を生き長らえた背景をつらつら思うに、なるほど岸か・・・とひとまず考えてみたが、この問題はいまのところ保留にしておく。
(2004.3.22)

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